プロローグ

 世の中にはさまざまな物語が存在する。
 希望に満ちた物語、恋と愛との物語、冒険につぐ冒険の物語……いずれの要素も、これから語られることになると思う。
 思う、と書いたのは、まだこの物語が始まったばかりだからだ。
 この先にはほとんど何も書かれていない。
 どんな風にストーリーが転がっていくかは誰にもわからないのだ。
 買ったばかりの、うんと分厚いノートを思い浮かべてほしい。
 きみは表紙を開いて、今から書き込まれる物語に参加していく。
 ノートにはきみの名前も何度も出てくることになるだろう。
 この物語にとってとても重要な、主たる登場人物のひとりとして。
 ただ、開けたばかりのページにはすでに、少々の書き込みがあることは了承してほしい。
 冒頭部だ。
 しかもいくらか、特殊な書き出しという印象を受けるかもしれない。
 世の中にある希望や愛や冒険の物語では、あまり好まれない開幕状況ではなかろうか。

 なぜならこの物語は、崩壊からはじまるからだ。

 頬の産毛を焦がすような輝きが、機体の真横をかすめて落ちていった。
 一拍遅れて音と振動。
 さらに一拍遅れて、下方からの爆風。
 リン・ワーズワースの小型戦闘空艇〈エスバイロ〉は直撃こそまぬがれたものの、逸れた雷光はリンの下方の飛空旗艦に命中し、派手な熱波を上げさせた。
 さらなる雷撃が来る危険をかえりみず、リンは振り返ってゴーグルを飛行帽の位置に引き上げる。
 煤けたゴーグルは視界を遮るばかりで、もうあまり役に立っていない。
 「……ブルーティアーズが!」
 思わずリンは口走った。
 ブルーティアーズというのは、彼女の目の前で沈んでゆく飛空旗艦の通称だ。
 蒼みを帯びた灰色の艦は、彼女が2年と2ヶ月を過ごした思い出の場所でもあった。
 艦は蒼白い電光に包まれ、煙と炎をたなびかせながらアビスに落ちていく。
 脱出艇の姿は見えなかった。
 ――せめて艦長やクルーに、すみやかな最期が訪れますように。
 祈るよう目を伏せたリンだったが、次の瞬間にはアクセルを全開にし、ハンドルに体重をかけて戦闘空艇を急旋回させている。
 全身にかかるGに打撲と火傷だらけの五体がきしむも、歯を食いしばってこらえた。
 泣かない。
 泣くものか。
 泣いたって、艦が蘇るわけではないのだから。
 泣いたって、人類滅亡への秒読みが止まるわけではないのだから。

 足元遠くに渦を巻く歳月が長く、いつしか子どもを寝かしつけるための怪物話のたぐいになっていたアビスが、突然牙を剥いたのはわずか数日前のことだ。
 このときアビスは、黒い翼竜の姿をとって旅団を襲った。
 竜は全長百メートルにならんとする巨(おお)きさで、黒い口腔から青みを帯びた雷光を吐く。
 その容姿は、千年昔の伝説にある『ブロントヴァイレス』に似ていた。
 ただ、記録にあるブロントヴァイレスはもっと小規模だったはずだ。
 だから別の存在、あるいは進化を遂げた新種の可能性も疑われている。
 しかもこの竜は一頭ではなかった。
 ひしめきあうような十数頭の編隊で、文字通り太陽を覆い尽くす勢いで現れたのだった。
 竜は一頭でも、その靱(つよ)さで旅団を圧倒した。
 現存する兵器は歯が立たない。
 竜の硬い鱗にあらゆる火器は弾かれ、熟練のガーディアンによる斬り込みもいたずらに犠牲を増すばかりとなった。
 ブロントヴァイレスの巨躯は、小さき人類の接近をほぼ許さない。
 一千年の栄光を誇った旅団が、その歴史に比せばまばたきのような短い時間で、次々と崩壊していった。
 最初の一日で、商業旅団ファヴニルが雷(いかずち)中に沈んだ。
 続く数日で、芸能旅団ミルティアイ技術旅団ログロムが後を追った。
 各個撃破を避けるため残存旅団は集結を果たしたが、形勢を覆すことはできなかった。
 敵はそれほどに圧倒的すぎた。
 そして今、情報旅団テストピアの巨大な船体には亀裂が入り、その右半分がずり落ちるようにして奈落へと消えて行った。
 悪夢であっても見たくない光景だった。
 何度も雷撃を浴び煙を上げていた学園旅団アカディミアが、ついに赤く炎上し、断末魔の錐揉み状態に陥って高度を下げたのだ。
 煮える釜のようになった船内で、どれほどの若い命が喪われていることだろう。
「呪われろ!」
 リンは毒づいた。
 この期に及んでさらなる敵、『アビスメシア教団』の船影が雲の合間から姿を見せはじめたのだ。
 いずれも、黒いフード付きのローブを着込んでいるから見まがいようがない。
 わずか数機のエスバイロによる斥候部隊でしかないものの、間もなく本隊が到着することはたやく想像できた。
 いよいよ世界が崩壊せんとするこの状況こそ、彼らが望んだ救いのときであることは疑いがないだろう。
 教団の戦法はパターン化している。
 まず斥候が姿を見せた後、小型戦闘空艇の中規模集団による先遣隊があらわれ、自爆もいとわぬ突撃を仕掛けてくる。
 それでさんざんに場をかき乱したのち、大型飛空艇による大規模攻撃がはじまるのだ。
 撤退時は浮遊機雷を大量に投棄するのも常套手段だ。
 教団が荒れ狂った後の空域には何一つ残らない。
 彼らが全体的に三つ叉の槍のような陣形を組みがちなのは、教団のシンボルマークがまさにその形だからだ。
 リンは頭を振った。
 状況に打ちのめされている時間はない。
 今は自分の所属旅団、軍事旅団レーヴァテインのことを考えるべきだ。
「オリヒメ、状況を解析して」
 リンはエスバイロに呼びかける。
 正しくは、現在エスバイロにシンクロ《同化》している自分のアニマに。
 アニマの名は『オリヒメ』という。
 一時的にシンクロを緩め、オリヒメはリンの真横に浮かび上がった。
 半ば透明なその状態はプライベートモードと呼ばれている。
 このとき、オリヒメの姿は主人のリン以外には見えない。
 現在のオリヒメは、天女の羽衣のような衣装をまとい、黒髪も丁寧にまとめて頭のところで束ねていた。
 レザーのコンバットブーツにフライトジャケット、飛行帽のリンとは釣り合いのとれない装いだ。
「……そう、レーヴァテイン船団もほぼ壊滅状態ってわけね」
 リンの声に、オリヒメは静かにうなずいた。
 オリヒメの外見は幼い少女のそれだが、黒目がちな眼は多くの哀しみを知っているせいか、年齢よりずっと大人びて見えた。
 オリヒメの報告にリンは驚かない。
 ブルーティアーズが墜ちたときに覚悟はできていた。
 小回りのきかぬ巨大飛空艇は、意地悪な眼で見れば羊の群れに等しい。
 飛空旗艦という牧羊犬を失えば同時に、よたよたと道に迷う格好の標的と化すのだ。
 とりわけ大きな艇が集中的に被弾し炎上するのをリンは見た。
 焼ける船体から、折れた肋骨のようにヒンメル機動リングが飛び出しているところまで見える。
 つまりそれは、艇内に暮らす数万の命が燃え尽きたことを意味していた。
「オリヒメ! 機体操作をお願い!」
 リンが告げるや、彼女の機体は物理的にありえないほどの急角度で弧を描いた。
 流線型の舳先は風を切り裂き、船体はほとんど水平になっている。
 このとき細くも素早い雷光がさらに数本、唸りを上げてリンのエスバイロに迫っていた。
 いずれも外れた。
 だが、びしっ、と大きな音がしたのでリンは反射的に首をすくめていた。
 自分の斜め前方、僚機のエスバイロが真正面から雷撃を浴びたのだった。
 ――ケイイチ……!
 リンは息が詰まった。
 被弾したのはケイイチの機体だった。
 ここまで攻撃をしのいできたというのに、とうとう回避に失敗したのだ。
 ケイイチを乗せたエスバイロは、コマのように回転しながら落下していく。
 彼の白いマフラーがたなびくのが見えた。
 ケイイチのアニマ『マギー』でも、直撃を受けては機体を立て直すことは不可能だろう。
 このとき、ブルーティアーズから一斉離艦した小型戦闘空艇は三十機、ケイイチ機が撃墜されたことをもって、生き残りはついにリン―オリヒメ機ただひとつとなったということになる。
「……!」
 リンはアクセルをもう一度フルスロットルに入れた。
 ケイイチが曳いた黒煙すら目くらましにして一気に距離を詰める。
 あと少し。
 あと少しでブロントヴァイレスに届く。
 懐に入ることができる。
 こちらを牽制するように、顔を向けたまま後退し雷光を次々と放つ黒い竜に。
 リンはブロントヴァイレスを道連れにする覚悟だ。
 口中に飛び込めば勝機はあると信じている。
 ただ惜しむらくは、それが実現したとしてブロントヴァイレスは、まだあと十七体もいるということだろうか。
 行く手の空は、黒い。
 すでにアビスの霞が空の過半を覆っているのだ。
 視界が急速に狭まってゆく。
 この分では間もなく、アビスの霞の影響で通信回線も閉じてしまうことだろう。

「……っ!」
 とっさに受け身の姿勢をとって、ケイイチ・ルドルフ・コヤナギは衝撃に備えた。
 転がり落ちて口の中を数カ所切った。
 しかし予想よりはるかにダメージは少ない。
 マギーが鋭い電子信号をはなつのが聞こえた。
 身を起こすと同時に、乗っていたエスバイロが頭上で爆発四散するのをケイイチは目撃する。
 さすがはマギー、とっさの判断で、ケイイチを巻き込まない方向へ機体を飛ばしたにちがいない。
 ――それにしても、ここは!?
 墜落した地点を調べて息をつく。
 飛空艇の翼の上だった。
 民間貨物船と思われる。
 沈没した巨大飛空都市から脱したものだろう。
 中には大量の難民が、船が自重で墜落する限界ぎりぎりまで押し込まれているに違いない。
 九死に一生、と喜んでいられる状況ではなさそうだ。
 マギーが半透明の姿を見せた。
 空色のメイド服を着た姿。
 黒い空の下でも、マギーの姿には一点の汚れもない。
 彼女が指す方向を見て、ケイイチは思わず「えっ」と声を洩らしていた。
 ブロントヴァイレスの一体が急降下して、その前足の鉤爪で貨物船の天井を紙のように引きちぎったのである。
 ケイイチは、大きな石をひっくり返したときの様子を連想した。
 石の下に隠れていた小さな虫たちが、右往左往して逃げていくときに似ている。
 だがこの場合、虫たるものはすべて人間だ。
 空を見上げ大量の難民が悲鳴を上げている。
 無力な子どもと老人が中心のようだ。
 赤ん坊を抱きかかえ半狂乱になる母親の姿も見えた。
「まるでハゲタカじゃないか!」
 ケイイチの視界に、味方機でも黒い教団所属機でもないエスバイロの姿が目に入った。
バッカニア』と名乗る大規模空賊団だ。
 獣の毛皮を着た野人のような集団、いずれのエスバイロにも、動物の角のような飾りがごてごてと取り付けられていた。
 世界が終わろうとしているときにまで火事場泥棒を試みる彼らの生き様には卑しさしか感じない。
 貨物船の沈没から避難民を救い、さらには空賊も排除する……楽な話ではないだろう。
 まず99%不可能といっていい。
 けれどケイイチは、決して希望を捨ててはいなかった。

 ここできみの出番だ。
 きみもこの戦場にいる! 人類文明崩壊のただ中に!
 きみはエスバイロ乗りの一人として、雷撃をかいくぐりこの空域にとどまっているのだろうか。
 それとも、民間貨物船の護衛として空賊と闘いつつ、船を持ちこたえさせるべく奔走しているのだろうか。
 わずかな援軍の一員として、ブロントヴァイレスに側面攻撃をかけるべく駆けつけたところだろうか。
 それとも……?

 いずれにせよきみの行動はこの物語の次の段階に影響し、流れを決定づけることになるだろう……!

(執筆:桂木京介 GM)

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